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2019年08月11日

保存整備された入山公廟で説明会〜第16回由学館セミナー「入山公と大船山」

 大船山の中腹、標高約1400メートルに位置する国指定史跡岡藩主中川家墓所(三代藩主中川久清墓所)。市では中川久清生誕400年にあたる平成27年度から荒廃が進んでいた墓所の保存修理に着手。今年3月に工事が完了したことから、山の日の8月11日、第16回由学館セミナー「入山公と大船山」を開き、現地で説明会を行いました。

 中川久清(1615〜1681)は水利や灌漑事業を推進し、藩の農業生産力を向上させるとともに、藩制度の整備を進めた名君として知られ、また、大船山をこよなく愛し、領民が背負う「人鞍(ひとくら)」に乗って登山をした久清は、自身を入山と号していたと伝えられています。

 久清公が儒葬されている墓所は、石垣により造られた基壇の中央部に「従五位下中川氏前城州太守源久清」の碑文が刻まれた墓石が設置され、この墓石を石製の玉垣が囲んでいます。近くには六男中川久矩、四女井津姫が儒葬された墓もあります。

 あいにくの天気の中行われた説明会には市内外から約20人が参加。市の学芸員が、4年にわたる保存修理工事の概要や発掘調査により判明したことなどを説明しました。その中で、石灯籠の笠の重さは約200キロあり、灯籠を支えるために地中に40センチほど支柱が差し込まれていたことや、岡城下の碧雲寺と同様の庭園風に並べられた墓の周りの石は運ばれてきたものであること、墓の主体部の中まで盗掘がされていたこと等が明らかになりました。

 また、天保2年(1831)に信濃国更級郡森村(現長野県千曲市)の中条唯七郎が記した「九州道中日記」に入山公墓所の記述があり、その記述をもとに調査を進めた結果、墓を警備する番人の詰所「番所跡」の位置が特定され、参加者に公開されました。

 大分市から夫婦で参加した首藤典利さん(73歳)、久子さん(69歳)は「花崗岩を切り出して運んでいたことに驚いた。領地を見渡せる場所に墓を造った久清公に思いを馳せ、日本で最も標高の高い所にある殿様の墓所をまた訪れてみたい」と話しました。

 

↑ 約20人が参加した三代藩主中川久清墓所の現地説明会では、保存修理工事の概要や発掘調査により判明したことなどの説明がありました

 

↑ 墓を警備する番人の詰所「番所跡」を見学する参加者ら

 

↑ 久住公民館で開かれた由学館セミナーには約50人が参加

 

↑ 久清公が子孫と領民を見守るため、岡城が見渡せる大船山に葬るよう書き付けを遺したことなど、古文書から入山公・中川久清の人物像にせまる話に聞き入る参加者

 

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