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2019年08月24日

100年の時を超え、廉太郎の絶筆「憾」に込められた真実に迫る〜「瀧廉太郎生誕140年記念事業〜遺作『憾』の真実〜」

 亡くなる4か月前に完成した瀧廉太郎の遺作「憾(うらみ)」。100年の時を超え、見つかった4枚の自筆譜から廉太郎の思いに迫る「瀧廉太郎生誕140年記念事業〜遺作『憾』の真実〜」が8月24日、グランツたけたで開催されました。

 今年1月、瀧廉太郎の直筆とみられる譜面や手紙、写真などの史料が市に届きました。寄贈していただいたのは東京音楽学校時代の大親友・鈴木毅一氏のご遺族。7つの段ボールに収められていた遺品は約800点にのぼり、驚くべきことにその中には「憾」の自筆譜が含まれていました。

 死期が迫る中、廉太郎は何を思い、最後の作品を作り上げていったのか。親友の鈴木毅一に託された自筆譜には、「明治35年10月31日」「明治35年11月2日」「未成」「Den 14 Februar 1903(明治36年2月14日)」とそれぞれ記され、「憾」の制作過程を見ることができます。

 第1部では、演奏活動を通じて本市の音楽文化向上に貢献されているピアニストの宮谷理香さんが4つの自筆譜を弾き比べ。2分弱の作品を作曲していく中で、大きく変わった中間部とクライマックスの部分を制作過程の順に演奏しました。

 第2部では瀧廉太郎研究の第一人者、大分大学名誉教授の松本正先生が4つの自筆譜の分析結果を解説。「几帳面な性格の廉太郎らしく五線譜には丁寧に書かれた音符が並んでいる。自筆譜には譜面全体にバツ印が入ったものや殴り書きしたもの、『Doctor Doktor』と余白に走り書きした跡があり、死の淵に立つ廉太郎のいらだちや不安、心残りといった心の葛藤が伝わってくる。廉太郎の悲痛な叫び声が聞こえてくるかのような終結部の荒々しいクライマックス、そして制作の過程で変更していない最後の一音には、廉太郎の短い生涯が凝縮され、あたかも彼自身を象徴するかのように曲が閉じられている」と話しました。

 また、鈴木毅一に宛てた書簡や手紙の内容などを説明した松本先生は、「発見されたこれらの遺品は廉太郎の音楽に捧げた情熱を知るうえで、大変貴重なものばかり」と、史料の歴史的・文化的価値を高く評価し、「廉太郎の人間像や我が国の洋楽史上の功績を明らかにするとともに、廉太郎の顕彰と地域の音楽文化の向上を図っていくことが大切」と述べました。

 市では、「憾」の自筆譜4点を含む寄贈された史料について、市内施設での展示の検討を進めるとともに、日本における近代音楽の扉を開いた瀧廉太郎を顕彰していきます。

 

↑ グランツたけたで開かれた「瀧廉太郎生誕140年記念事業〜遺作『憾』の真実〜」には約500人が来場

 

 

↑ 見つかった4つの自筆譜を弾き比べるピアニストの宮谷理香さん

  

 

↑ 4つの自筆譜の分析結果を解説する大分大学名誉教授の松本正先生

 

 

↑ 廉太郎の自筆譜や手紙などの史料に見入る来場者

 

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