市指定史跡「御客屋敷」
市指定史跡「御客屋敷」
御客屋敷は岡藩の施設で「御使者屋」ともいい、他藩からの士分以上の者の宿泊所として利用されていました。今でいう迎賓館の役割を果たしていました。昭和47年(1972)に市指定史跡となりました。現在は、史跡の公開活用を兼ねてカフェとなっています。
カフェ『三日月珈琲店-月鐘楼-』
『御客屋敷』では、現在、岡藩の迎賓館だった築200年の建物を利用したカフェ『三日月珈琲店ー月鐘楼ー』を営業中です。城下町散策の合間に、悠久の時を感じながら珈琲やカレーランチをお楽しみください。
※史跡の見学のみも可能です。お気軽にお立ちよりください。
【営業日】毎週金~火曜日 11時~16時
【定休日】水・木曜日、年末年始
※不定休あり(下記アドレスにてご確認ください)
【所在地】竹田市大字竹田486番地1
【電話】0974-63-1008
【駐車場】城下町交流プラザ駐車場(有料)をご利用ください。
◎メニュー等の営業内容や詳細情報はインスタグラム、もしくは下記アドレスをご覧ください。
『御客屋』の歴史
御客屋は岡藩が他藩からの使者の士分以上の宿泊所として建築したもので、古くは御使者屋といい、鴻臚館や聴雨亭などとも呼んでいました。
当初は本町にあった蓮成寺を宿泊所として利用していましたが、寛永期以降に田町に御客屋を造営して藩営の宿泊所としました。しかし、寛文6年(1666)の大火で類焼したため、寛文8年(1668)に寺町の現在地に普請されました。その後、正徳3年(1713)と寛政元年(1789)の大火でも類焼したため、文化3年(1806)にようやく再建されました。
御客屋の管理を担ったのは歴代の伊東家です。初代伊東源兵衛は、中川秀成公とともに播磨国三木より竹田へ来て、文禄3年(1594)に「御客屋亭主(御使者屋亭主)」となりました。7代目として生まれた伊東弥三郎(亀齢軒)は、文化末年に故あって出国し、京都に出て松月堂古流(生け花の流派)の三世となり活躍。西日本や九州各地を歴遊し、同郷の田能村竹田をはじめ数々の文人たちと交友しました。
文化7年(1810)12月18日からの23日間、九州の測量のため来藩した伊能忠敬が御客屋に宿泊しています。
廃藩後の明治24年(1891)に、御客屋は衛藤敦夫(広瀬武夫の叔父)によって買い取られ衛藤医院となり、屋敷も改修されました。その後、敦夫の子たちが歯科医として継承した後、後藤医院、行徳眼科医院と続き、再び衛藤家が御客屋敷を管理していましたが、昭和47年(1972)に市指定史跡となり、昭和59年(1984)に竹田市所有となりました。そして、昭和60年(1985)から翌年にかけて保存修理が行われ、現在に至っています。
現在の建物は江戸時代に普請されたものが基本となっており、当時の2分の1程度(東側)が残っています。庭園は枯山水様式で、観音寺の遠見燈籠や八幡山を借景とする南画的な風情を楽しむことができます。
この記事に関するお問い合わせ先
竹田市教育委員会まちづくり文化財課
〒878-8555
大分県竹田市大字会々1650番地
電話:0974-63-1111(内線321・322)
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更新日:2023年11月29日