城ピアノ

更新日:2023年08月23日

城ピアノ~あなたも岡城跡で「荒城の月」を弾いてみませんか?~

全国でも様々な場所に設置が進んでいるストリートピアノ。

瀧廉太郎作曲「荒城の月」ゆかりの岡城跡(国指定史跡)を訪れる市民や観光客に、音楽を身近に感じるとともに、瀧廉太郎に想いを馳せてもらおうと、岡城跡の二の丸便益施設内にピアノを設置しました。

このピアノは廃校となった宮城台小学校で使用されていたものです。

営業時間内であれば、いつでも誰でも利用可能です。利用にあたっては譲り合い、自慢の腕を披露し、楽しい時間を過ごしてください。

廉太郎先生も聴いていますよ!

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城ピアノ02

ぜひ「荒城の月」を弾いてください

城ピアノ03

窓の外に廉太郎像が見えます

便益施設

城ピアノを設置した二の丸便益施設

廉太郎

廉太郎先生も聞いていますよ

楽聖・瀧廉太郎

廉太郎

瀧廉太郎写真(竹田市歴史文化館蔵)

明治12(1879)年8月24日、東京に生まれる。瀧家は江戸時代、豊後日出藩の家老職をつとめた家柄であった。

父が直入郡長となり、明治24(1891)年12月に一家全員で竹田へ移り、翌25年1月に直入郡高等小学校第2学年に転入。当時、廉太郎は12歳。学校の裏にある岡城跡で遊んだり、石垣に座り尺八を吹いたりしていたという。

明治27(1894)年5月に上京し、芝唱歌会に入会。東京の従兄・大吉のもとで生活する。同年9月には音楽学校予科へ入学し、翌年に本科専修部へ進学。明治31(1898)年に本科を首席で卒業し、研究科へ進学した。

在学中より作曲活動に励み、明治33(1900)にはピアノ及び作曲研究のため、ドイツ留学を命ぜられ、明治34(1901)年4月に横浜港を出航した。同時期に「四季」(「花」「納涼」「月」「雪」)「中学唱歌」(「荒城の月」「箱根八里」ほか)や「幼稚園唱歌」(「お正月」「鳩ぽっぽ」ほか)を発表している。ドイツ留学中に結核を患い、翌年に帰国。その後は大分へ戻り、病気療養の傍ら作曲を続け、「荒磯」や「憾」を作曲するが、明治36(1903)年6月29日、大分で病死した。23歳10カ月の短い生涯であった。

城ピアノ・ギャラリー

金子三勇士「城ピアノ」でショパンを弾く

金子

youtubeチャンネル(Miyujik Official)より

ピアニストの金子三勇士さんが岡城跡の「城ピアノ」を演奏してくれました。リンク先からぜひご覧ください。

金子 三勇士(かねこ・みゆじ)
1989年日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれる。6歳より単身ハンガリーに留学。2001年国立リスト音楽院大学入学。06年東京音楽大学付属高等学校に編入。08年バルトーク国際ピアノ・コンクール優勝ほかコンクール優勝・入賞多数。10年にデビューアルバム「プレイズ・リスト」、16年「ラ・カンパネラ~革命のピアニズム」をリリース。これまでに読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団等と共演。11年ホテルオークラ音楽賞、12年出光音楽賞受賞。東京音楽大学ピアノ演奏家コース首席卒業、同大学院器楽専攻鍵盤楽器研究領域修了。

来る2022年7月24日(日曜日)に竹田市総合文化ホール〈グランツたけた〉廉太郎ホールにて「金子三勇士ピアノリサイタル」を開催予定。チケット発売中です。詳細は竹田市総合文化ホールにお問い合わせください。

 

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