秋山巌生誕100年記念展「化けものを観ろ、化けものを出せ-秋山巌と2人の師ー」
展覧会ポスター
開催概要
秋山巌生誕100年記念展
『化けものを観ろ、化けものを出せ -秋山巌と2人の師-』
開催期間
2021年5月1日(土曜日)~6月20日(日曜日)
開館時間 9:00~17:00 ※最終入場は16:30まで
休館日 木曜日
観覧料
高校生以上 500円(400円)
小中学生 300円(200円)
65歳以上 250円
幼稚園以下・各種障害者手帳提示者(付添1名含む) 無料
主催
竹田市、竹田市教育委員会
特別協力
秋山巌の小さな美術館(ギャラリーMami)
秋山庄太郎写真芸術館
瀧上寺
ホテル岩城屋
山頭火・秋山巌版画館、但馬屋老舗
竹田市立竹田小学校
大分県立美術館
大分県立先哲史料館
秋山巌
撮影 秋山庄太郎
提供 秋山庄太郎写真芸術館
※無断転載禁止
秋山巌 Iwao Akiyama
ふくろうや種田山頭火で知られる竹田市ゆかりの版画家。
1921年(大正10年)生まれ。大分県竹田市で育つ。竹田尋常高等小学校を卒業した後に旅館岩城屋で奉公、そして、19歳で海軍に志願。
終戦後は東京で警察官となり、勤務の傍ら絵画制作に取り組んだ。37歳で太平洋美術学校に入学、その翌年に棟方志功に師事し、日本板画院の会員となる。太平洋展で活躍したほか、CWAJ現代版画展に招待され出品。棟方志功四大弟子展にも参加した。
棟方志功に常々「化けものを観ろ、化けものを出せ、化けものを描け」と教えられ、「化けもの」を求めて苦悩する日々が続く中、種田山頭火の句集『草木塔』に出会う。以後、山頭火の句の世界観を表現した作品を制作。国内外で多くの個展を開催してきた。
2014年(平成26年)9月15日に93歳で永眠。
みどころ1 棟方志功の板画を観る
師・棟方志功の作品4点(大分県立美術館所蔵)を竹田市初公開。
実は棟方志功。竹田市を訪れていたことがあるのをご存知でしたか?
昭和45年(1970年)5月10日~21日にかけて、棟方志功は《西海道棟方版画》の取材旅行に北部九州をまわり、5月19日に岡城跡と旧竹田荘を訪問。《西海道棟方版画》の中に「岡城下竹田居の柵」という作品があります。棟方志功は自らが旧竹田荘をスケッチしている光景をそのまま板画にしました。
「昔と変わらぬ豊後竹田の町。まだ日本にこんな町があったのかと目をうたがう。江戸末の画聖、田能村竹田は、ここに生れ、ここに住んだ。庭内には竹田が思いをこめて残した筆塚も、また、文政元年(一八一八年)一〇月の末ここを訪れた頼山陽がかりねの夢を結んだ別屋も昔のままである。」
「岡城下竹田居の柵」につけられた解説です。
今回は、安川電機(北九州市)が発行し頒布した《西海道棟方版画》を展示して「岡城下竹田居の柵」を紹介。また、大分県立美術館が所蔵する棟方作品4点(星座の絵、奥山在神図、凡聖一如の柵、「厖濃」自板像の柵)を展示しています。
参考|北九州市立自然史・歴史博物館編『九州発!棟方志功の旅 彫り起こされた足跡と交流』2019年10月
みどころ2 秋山巌の初期エッチング作品
老貨物船 1963年(昭和38)
山頭火・秋山巌版画館
秋山巌は終戦後の1948年(昭和23年)に上京し警察官になり、勤務の傍ら本格的に創作活動(最初は油彩画)を開始しました。
1958年(昭和33年)に太平洋美術学校彫刻部に入学し、翌年の第55回太平洋展で《ながさき》がY氏賞を受賞。卒業後は太平洋美術会の会員として活躍。1970年(昭和45年)の第66回展で《森の精》が版画優秀作家賞を受賞しました。
この頃の秋山はエッチングやコラージュを中心に創作し、1968年(昭和43年)には初の個展(コラージュ中心)を開催しています。
本展では、山頭火・秋山巌版画館が所蔵するエッチング作品5点を展示しています。
みどころ3 秋山巌とふくろう
ふくろう 1968年(昭和43)瀧上寺
秋山が山頭火と出会う前は、民話の世界をモチーフとして創作、「アイヌ」の民話の中の「ふくろう」に興味を持っていました。
次男を連れて上野の動物園に出かけた時のことです。秋山が「ふくろう」をスケッチするも、どうにも絵になりませんでした。しかし、次男のスケッチブックに描かれた「ふくろう」は、丸でかこみ、チョン、チョンと目をつけたり、耳をつけたりした絵とはいえない絵でしたが、単に写した「ふくろう」ではなく、生き生きとした「ふくろう」がそこに描かれていたのです。
「この「ふくろう」を素にして創れば愉しくユニークな「ふくろう」が創れるぞ」と、秋山は心がおどったといいます。
秋山の「ふくろう」は、次男の「ふくろう」を原点に生み出されたのです。
本展では、秋山家の菩提寺である瀧上寺に残された初期の「ふくろう」や、アイヌ民話にもとづいた「福の神」のほか、3羽のふくろうが並んだ「ラッキーな野郎ども」などを展示しています。
秋山巌が創作するいろんな「ふくろう」をお楽しみください。
みどころ4 秋山巌と2人の師 棟方志功、種田山頭火
雪ふりしきる 1984年(昭和59)
ホテル岩城屋
1953 年(昭和28)頃に観た棟方志功板画展を観て、度肝を抜かれた秋山。
1959 年(昭和34)に日本板画院の会員となり、棟方志功に師事しました。1970 年(昭和45)に日本板画院を退会しますが、門下生グループ展や棟方志功四大弟子展に参加しています。
「私の師は、故棟方志功である。しかし板画(版画)の師ではない。志功の編み出した板画哲学の門下である」(「化けものを観た―山頭火の世界―」より)と、秋山は記しています。
師から常々言われた言葉が、「ばけものを出さなくちゃだめだ。絵というものは、いくら上手に描いてもばけものがでなければ人は驚かないし感心もしない」(「怪物が観える詩心」より)でした。
青い山 1990年(平成2)
山頭火・秋山巌版画館
棟方志功に言われた「ばけもの」を探求していく中で、秋山は取材旅行中に立ち寄った本屋で種田山頭火の句集『草木塔』に出会います。
ぱらぱらとめくって拾い読みしているうちに、「えも知れぬ感動が衝きあげ」、「山頭火の言葉にぞくぞくと寒気にも似た感激が背に走った」といいます。
全集を手に入れ、郷里の瀧上寺に帰省。和尚と盃を交しながら、山頭火の句について議論し、山頭火が歩いた道を実際に歩いたそうです。秋山巌の「山頭火狂い」がはじまったのです。
「山頭火によって私の心は開眼されたといってもよかろう。棟方先生に板の道を教わり怪物発見の暗示を受け、山頭火は怪物が観える詩心を教示してくれた。」(「怪物が観える詩心」より)と秋山は記しています。
本展では、「生死の中の雪ふりしきる」をはじめとする山頭火の句をモチーフとした秋山巌作品を53点展示しています。
また、「分け入っても 分け入っても 青い山」などは、山頭火自筆の句と秋山巌作品を並べて展示しています。
秋山巌が生涯をかけて表現した山頭火の句の世界観をご堪能ください。
みどころ5 秋山巌と竹田小学校
記念誌の見返しに印刷された《楠とむささび》
青嵐 1984年(昭和59) 竹田小学校
竹田尋常高等小学校を卒業した秋山巌。竹田小学校の開校120周年を記念して、文章を寄せるとともに、作品《楠とむささび》を制作しました。このほか、青嵐・ライバル・冨士がまっしろの3点を竹田小学校に寄贈しています。
本展では、竹田小学校に今も飾られているこれらの寄贈作品を展示しています。
みどころ6 ギャラリーMamiのために描いたふすま絵
秋山巌の長女、町田珠美さんが福島県の相馬市に開いた「秋山巌の小さな美術館」(現在は関西に移転)。自宅の和室2畳をギャラリーとし、珠美さんは父にふすま絵の制作を依頼しました。1994年(平成6年)のことです。
今回、「秋山巌の小さな美術館(ギャラリーMami)」に飾られていたふすま絵やひょうたん、こけしなどが、珠美さんより竹田市へご寄贈していただきました。
本展はそのお披露目をかねた展覧会でもあります。秋山が自由にダイナミックに描いたふすま絵。版画とは違う肉筆の魅力もご堪能ください。
ねこ 1994年(平成6)竹田市歴史文化館
(ギャラリーMami旧蔵)
ひょうたん 竹田市歴史文化館
(ギャラリーMami旧蔵)
秋山巌の山頭火句碑
この記事に関するお問い合わせ先
竹田市歴史文化館 由学館
〒878-0013
大分県竹田市竹田2083
電話:0974-63-2200
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更新日:2022年04月08日