対談|松本正(大分大学名誉教授)×森田良平(TAKETA室内オーケストラ九州)完全版を公開しました
7月3日(日曜日)瀧廉太郎顕彰コンサート『廉太郎が愛した音符』にて配布されたパンフレット掲載の「対談|松本正×森田良平」に、他のエピソードを追記した完全版を公開いたします。
■無二の親友、瀧廉太郎と鈴木毅一
森田:まず、鈴木毅一と瀧廉太郎の関係性についてですが、2人はどういうお友達だったんですか?
松本:音楽学校時代の言わば同級生というか、後輩ですね。鈴木毅一が。音楽学校に1年遅れて入ったんじゃないかな。
森田:へぇ、後輩だったんですね。二人はどうフィーリングが合ったんでしょうか?
松本:おそらく瀧廉太郎自身が音楽学校ではかなり目立った存在だったと思うんです。ピアノ技術も優れていましたから、周りの学生からすると注目の存在であったと思います。
森田:学生服の第一ボタンだけ開けて着るのを流行らせたりテニスも上手だったり。そういう「憧れの先輩」だったのかも知れないですね。そもそも、鈴木毅一の親族の家にこれほどの資料があるというのは、先生ご存じだったのですか?
松本:そうですね。研究の初期から「鈴木家には瀧廉太郎関係の資料が大量にある」と。だから、まずその資料調査が出来なければ瀧廉太郎研究は進まないのです。その資料については小長久子先生(故人・大分大学名誉教授)がしっかりと調査をされていたんですね。県のバックアップもあって1年くらいアプローチして、毅一の出身地である静岡の掛川まで調査に行きました。しかし、そのころ資料は掛川と東京に分かれていて、半分しか調査出来なかったんです。その調査出来なかった方の資料が今回竹田に寄贈されたというわけです。
森田:なるほど。そういうことなんですね。
松本:だから驚きましたね。個人所蔵だとその後どうやって資料を保存していけばいいかわからないという心配もあったんでしょうね。
森田:掛川の資料を研究したのはいつ頃のお話なんですか?
松本:平成5年(1993年)頃だったですかね。大分県の「先哲叢書シリーズ」の瀧廉太郎編 です。それがスタートしたのが平成2年(1990年)。
森田:(2019年まで)実に30年越しに…ってことですね。
松本:ちょうど私も退職を目前に控えていた時だったので、退職後の最初の仕事となりました。はじめに歴史資料館の方がざっと整理して、その後に僕が調査しました。兎に角、資料館の方が全部写真に収めていたので、その写真と現物とを照合しながら調査をしたわけです。
森田:色々と分類したり研究されている中で、苦労された点はどこですか?
松本:今回の竹田では、瀧廉太郎関係の資料そのものはそれほど沢山ではなかったのですが、やはり「憾(うらみ)」ですね。一級の資料が、何より自筆譜が入っていたからですね。そのあたりは入念に調査をしました。ただ、鈴木家から寄贈された資料全体が段ボール7箱半くらいあったんです。それ全体を見るのが一番大変でした。(笑い)
森田:そうですよね。一通り目を通さないといけませんし。
松本:それは大変でした。資料館の方と一緒に、手伝ってもらいながら。あとはドイツ語で書かれた楽譜ですね。要するにひげ文字みたいな状態で書かれていて、タイトルそのものが一体何なのかすぐにはわからないわけで。
森田:由学館でライプツィヒ音楽院の入学案内を見させてもらったんですが、今では使わないようなドイツ語で書かれていました。
松本:かなり文法的にも難しいんです。資料の中に、ドイツから鈴木毅一に宛てた廉太郎の手紙があるのですが、入学案内の中にも書かれているものと同じような内容が手紙にも書かれていました。あれをもうちょっと読めるといいなと考えています。
森田:難しいです。僕らが大正時代の文章を読んでもわからないのと一緒なのかなと思います。
■資料の保存状態と鈴木毅一の音楽への愛
森田:大量の資料ということですが、保存状態はどうだったのですか?
松本:プログラムはまとまっていたので、その状態はすごく良かったです。結局当時からそのままの状態で保たれていたんじゃないかな。色んな人が触ったりすると破損する可能性があるので。
森田:譜面とかもまさにそうですよね。それこそコンサートで演奏するフンメルの「七重奏曲」の譜面(ピアノ連弾版)を見せていただいたんですが、全然めくった跡がない感じ。これは買ってからめくってないんだろうなって感じました。(笑い)
松本:結構そういうのはたくさんありますよ。こういうのも買ってるんだ…って。それは鈴木毅一の音楽に対するこだわりみたいな、“愛”というか。明治時代に音楽を志すこと自体が当時の男性だったらなかなか考えらない。鈴木毅一の音楽に対する思い入れが、楽譜をたくさん収集するというところにも表れていますよね。
森田:ほかにも当時の雑誌を見てみると、ところどころ切り抜かれていて「何を切り抜いたんだろう?」って考えます。演奏会のプログラムもたくさん残っていて、昔の資料がなかなか無い中で、当時はどういう形での演奏会でどんな曲を弾いていたんだと分かってきて、竹田での展示を観に行った時に「こんなにきれいに残ってるんだ」と印象的でした。あと、廉太郎の資料であるラインベルガーの『バラード』の楽譜も見させていただいたんですが、きれいに写譜していて、指番号も結構書き込んであるのです。コンサートでは、ピアノの後藤君が廉太郎の書いた指番号通りに弾いてみたいと話しています。IMLSP(国際楽譜図書館事業)で、ちょうどその当時くらいに出た版と見比べてみたのです。そこにも指番号書いてるんですが、微妙に違うのです。写譜をしたということは、当時の楽譜が貴重だったから自分で練習するためなんですか?
松本:というより、東京音楽学校に写譜の時間があったからです。
森田:そうか、写譜という授業があったのですね。
松本:瀧廉太郎は音楽学校で嘱託教師みたいなこともやっているのです。そこで写譜とピアノを教えています。彼が写譜の授業を担当したというのは納得出来ますね。
森田:そうですね。それで実際ドイツに留学したら、ドイツ人は写譜するのが下手だって手紙に書いていたりして。(笑い)
松本:明治のころは如何に楽譜が貴重だったのか、ということなんでしょうね。
■今後の展望
森田:このような貴重な資料が竹田に沢山あるわけですが、今後どのように活用していったらよいか、希望や展望などはありますか?
松本:新たな資料というのはこれから出てくることはなかなかないと思うのですが、ドイツ語の文章をもう少し読み解いていければ留学当時の状況がはっきりするだろうと感じています。
森田:僕が以前Facebookに「廉太郎がニキシュ指揮のコンサートをライプツィヒで聴いていた」って投稿をしたら、知り合いのヴィオラ奏者が、そのプログラムを調べて送ってくれたんです。ブラームスの交響曲第一番だったようです。
松本:あの頃の演奏会のプログラムは、私もドイツに行った時にある程度持って帰っているのです。
森田:それは非常に興味があります。
松本:多分それはどこにも使ってないです。資料集にも載ってない。ただ「そういう演奏会が開かれた」ということなので、実際に瀧廉太郎が聴いたかどうか…。ライプツィヒで聴いたとわかっているのは、パデレフスキのコンサートです。あれは瀧廉太郎自身が聴いたと手紙にも書いているし、当時の音楽雑誌に批評が載っています。
森田:パデレフスキですか。廉太郎が聴いた音楽や状況を再現することは、今後自分たちのコンサートでもやってみたいです。
松本:私の研究からいえば、「先哲叢書シリーズ」が廉太郎に関する集大成の資料集と言ってよいと思います。しかし、そこにないものが鈴木毅一の資料の中にいくつかあります。これを作った時には見られなかった資料を見ることができたし、全く新しい資料も出てきた。「憾」の直筆譜など全く知られてなかったものがあってびっくりしました。
森田:それまでは出版された物だけだったのですか?
松本:昭和に入ってから、若狭万次郎が出版した物です。これについては、どの自筆譜を基にして作ったのかはよくわからなかったのです。日付は確か2月14日。日付はあるけれども、新たに見つかった資料と見比べると内容が違う。そういう部分に疑問をもっていくと、以前から出版されていた楽譜は、どうも最終稿を基に作られたものではないと、わかってきました。
森田:ということは、竹田にある直筆譜が本来の完成形ということですか?
松本:そうだと思います。それが完成形かどうかは断定できませんが、それ以降の直筆譜は見つかってないので、とりあえずは最終稿ということになりますね。
森田:きれいに清書していますしね。
松本:新たな直筆譜が3枚存在していて、なおかつ制作過程がわかるところに注目です。他にもいくつか複数の直筆譜があるんです。『四季の瀧』とか『荒磯』とか。ただ実際には、制作過程はよくわからない…。それがはっきりわかるのが今回の『憾』なのです。そういう意味ではすごく貴重です。
森田:それも全部原本を見せていただきました。よく見ると鉛筆で消した跡があったり、苦労した過程というのが見えますね。
松本:特に最後のクライマックスのあたりは相当悩んでますね。
森田:特に最後4節ですね。そういう見方が出来ると非常に面白いです。
松本:色々な角度から資料を見れば、新しいこともたくさん出てくると思います。
森田:そういった視点で音楽や歴史に携わればまた面白い見方が出来るかな、と思います。上手くこじつけていくというか。(笑い)
松本:良い意味で。(笑い)
森田:はい、それで色んな方が音楽に興味を持ってくれたら私も嬉しいです。今日は短い時間でしたが本当に楽しいお話をありがとうございました。
松本:ありがとうございました。
<松本 正(まつもと ただし)>
大分県中津市生まれ。広島大学大学院教育学研究科修了。1981年に大分大学に赴任。在任中に大分県先哲叢書「瀧廉太郎編」の資料調査と執筆に携わる。以来30年以上にわたり瀧研究を行う。著書には、先哲叢書の「瀧廉太郎資料集」(1994)、評伝「瀧廉太郎」(1995)等、論文には「東京音楽学校編『中学唱歌』に関する研究」(2016)、「明治期における瀧廉太郎関連新聞・雑誌記事総目録」(2018)等がある。現在、大分大学名誉教授。
同時開催 <企画展「廉太郎が愛した音符」>
~コンサートの基となった資料をはじめ、貴重な楽譜や手紙等を展示します~
竹田市歴史文化館・由学館
会期:6月2c5日(土曜日)~7月10日(日曜日)
会場:市民ギャラリー
休館日:木曜日
廉太郎顕彰コンサート「廉太郎が愛した音符」


100年余りの時を経て竹田に響く「演奏家」としての廉太郎の音
100年以上の時を経て竹田の地に届けられる音に耳を傾けてみませんか?
演奏家を目指して希望に満ちていた若者、瀧廉太郎の知られざる姿と思い描いていた未来を、グランツたけたが誇る廉太郎ホールの豊かな響きと共にお楽しみください。
=瀧廉太郎顕彰コンサート「廉太郎が愛した音符」=
日時:2022年7月3日(日曜日) 13:30開場 14:00開演
会場:廉太郎ホール
出演:TAKETA室内オーケストラ九州
後藤秀樹(ピアノ)/生野正樹(ヴィオラ)
家長玲於(チェロ)/森田良平(コントラバス)
重見佳奈(フルート)/岩崎香奈(オーボエ)※「崎」の正式表記は「たつさき」です
石田眞一郎(ホルン・客演)
入場料:2,000円(全席指定・消費税込)
※未就学児はご入場できません
※有料託児サービス有(6/30(木曜日)締切)
主催:公益財団法人竹田市文化振興財団
助成:一般財団法人大分放送文化・スポーツ振興財団、文化庁
後援:大分合同新聞社
チケット発売:5月8日(日曜日)10:00より
チケット取扱:グランツたけた窓口、トキハ会館プレイガイド 7/1(金曜日)まで
ローソンチケット6/30(木曜日)まで(Lコード:84977)、
ライブポケット 7/2(土曜日)まで
◆関連イベント開催!◆
企画展「廉太郎が愛した音符」
会期:2022年6月25日(土曜日)~7月10日(日曜日)
会場:竹田市歴史文化館・由学館
市民ギャラリー
入場料:無料

お問合わせ先
総合文化ホール グランツたけた
〒878-0024
大分県竹田市大字玉来1番地1
電話:0974-63-4837
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更新日:2022年07月05日