竹田市の先哲
全国的に名を轟かせる偉人が、数多くこの竹田市から誕生しました。
田能村 竹田
(1777-1835)
日本南画の最高峰。
博学多才で、和歌・華道・茶道・香道にも
才を表し、学者としても唐橋君山を助け、
豊後国志を完成させました。
小河 一敏
(1813-1886)
幕末のころ、藩内勤皇党の先鋭として肥薩長の
志士と交流し、倒幕を画策。
維新後には初代堺県知事として活躍しました。
黒川 文哲
(1848-1916)
藩医の嗣子。町、郡会議員、県会副議長を
務めるとともに、竹田中学校や竹田駅、
黒川文庫(竹田市立図書館の前身)の設立に
尽力しました。
広瀬 武夫
(1868-1904)
旅順港閉塞で壮絶な戦士を遂げた軍神。
数々の武勇伝がある一方、漢詩にすぐれた文人
としての一面も併せ持っています。
瀧 廉太郎
(1879-1903)
明治期最高の作曲家の一人。
父の転勤で竹田に赴き、多感な少年時代を
この地で過ごしました。
岡城をモチーフとして「荒城の月」は誉も
高い名曲です。
三世 山本東次郎則重
(1898-1964)
人間国宝となった重要無形文化財大蔵流狂言師。
狂言の大衆化に尽力、和泉流野村万蔵との異流競演においてその名を深く刻んでいます。
佐藤 義美
(1905-1968)
「いぬのおまわりさん」や「グッド・バイ」
「アイスクリームのうた」で知られる童謡作家。
子どもたちのために作った童謡は約3,000編にも
及びます。