国指定史跡「旧竹田荘」

更新日:2021年05月15日

竹田荘遠望

竹田荘遠望 ©竹内康訓

国指定史跡「旧竹田荘」について

【入荘料について】

・竹田市歴史文化館・由学館で開催されている企画展の観覧料とセット料金です。
・城下町パスポートの対象施設です。
・チケットは歴史文化館と旧竹田荘、どちらでもお買い求めできます。

詳細は、歴史文化館のご利用案内をご覧ください。→(ご利用案内

旧竹田荘入口

旧竹田荘の入口

田能村竹田の住まい 旧竹田荘

竹田荘は、文人田能村竹田の住まいであった武家屋敷です。城下町の南端に位置し、屋敷地の南側を菅之山の断崖が遮るため日照不足に悩まされる土地でしたが、北側にひろがる城下町を一望することができる、とても眺めのよい場所です。

ここに医師として代々岡藩に仕えてきた田能村家の小さな屋敷がありました。1789年(寛政元年)の火災で類焼し翌年に再建、1808年(文化5年)頃から竹田によって改修や増築が行われ、竹田が理想とする「文人の住まい」となりました。竹田はここを拠点に全国を旅し、各地の文人墨客と交わり、数々の名作を描きました。

 

エレベーターから旧竹田荘へ

エレベーターで旧竹田荘へ
©Masaki Hamada (kkpo)

竹田亡き後、長男の如仙が竹田荘を受け継ぎますが、明治半ばに小宛村へ転出。竹田荘の所有者は他者へ移り、その後は荒廃していくばかりでした。

昭和に入ると、田能村竹田を顕彰する動きが盛んになり、1928年(昭和3年)に竹田会が発足、竹田荘を買収し竹田町に移管しました。1932年(昭和7年)より補修工事が行われ、1934年(昭和9年)に『画聖田能村竹田先生百年祭』が盛大に催され、隣接地に画聖堂も建設されました。

1947年(昭和22年)頃より南画家草刈樵谷が竹田荘に転居し、その管理とともに南画制作と田能村竹田研究に取り組みました。翌1948年(昭和23年)に「国指定史跡旧竹田荘」となり、1981年(昭和56年)に大規模な解体修理工事が行われました。

そして2020年(令和2年)10月。竹田市歴史文化館が開館し、旧竹田荘とはエレベーターでつながりました。翌2021年(令和3年)4月に旧竹田荘もリニューアル。田能村竹田のガイダンス施設として解説等が一層充実し、竹田についての理解をより深めることができるようになりました。

竹田荘母屋

竹田荘母屋 ©竹内康訓

花竹幽窓

茶室「花竹幽窓」©竹内康訓

庭

茶室「花竹幽窓」と庭・池 ©竹内康訓

草際吟舎

草際吟舎 ©竹内康訓

縁側

母屋東側の縁側 ©竹内康訓

田能村竹田って、どんな人?

竹田肖像

田中介眉《竹田肖像》竹田市歴史文化館

田能村竹田

1777年(安永6年)生~1835年(天保6年)没

豊後岡藩の城下町に、藩医田能村碩庵の次男として、竹田は誕生しました。幼名を磯吉といい、玄乗、行蔵と改名。

田能村氏は代々医を以て岡藩中川氏に仕えてきた家でしたが、竹田は藩医ではなく、藩校由学館につとめ『豊後国志』の編さんに力を注ぎました。この間、唐橋君山・淵野真斎・渡辺蓬島らの影響を受け、次第に詩や画への興味を深めていきました。

37歳で隠居した後、京都をはじめ各地を遊歴し、頼山陽をはじめとする文人たちと交流を重ねる一方、中国画人の画法を研究しつつ詩書画にいそしみ、独自の画世界を展開、江戸後期を代表する文人のひとりとなりました。

竹田は、高橋草坪・帆足杏雨・田能村直入など、多くの弟子に技法と南画の心を伝えました。その教えは弟子からその弟子へと受け継がれ、明治・大正・昭和まで大分で南画が盛んに描かれてきました。竹田にはじまった大分の南画文化は「豊後南画」と呼ばれるほどに、この地に深く根付いていったのです。

竹田の河豚図

河豚図

河豚図 ©竹内康訓

河豚図

1796年(寛政8年)20歳
紙本墨画淡彩 54.0×27.4cm
竹田市歴史文化館

竹田20歳の作。現存する最も古い遺品。江戸から下向した藩主侍医の唐橋君山(1736~1800)の詩画会「竹田社・米船社」に参加し、作画に取り組み始めた頃のもの。

江戸の画人北山寒巌(1767~1801)の画を粉本紙に模写している。フグの眼や腹部、水草の微妙な赤、青、緑などの彩色に、南蘋画法の影響を受けた寒巌の作風がみてとれる。左上の題詩は、漢方医の吉益東洞の詩で、寒巌の原図に君山が書していたものを、竹田が写し取っている。

文化年間の山水図

浅絳山水図

浅絳山水図 ©竹内康訓

浅絳山水図

1812年(文化9年)頃 36歳頃
紙本墨画淡彩 109.1×32.3cm
竹田市歴史文化館

竹田36歳頃の作。文化年間の竹田の山水図は、中国明代の呉派文人沈石田の画法によって描かれている。本図はそのひとつ。川を挟んで前景と中景で構成され、それらをつなぐように大きな樹木が描かれている。

画賛は盛唐の詩人、孟浩然の詩である。また、「於竹田書屋」と書かれていることから、本図は竹田荘で描かれたものであることがわかる。

竹田の記念碑的作品のひとつ

山水図

山水図

山水図

1813年(文化10年)37歳
絹本墨画淡彩 100.3×40.2cm
竹田市歴史文化館

竹田37歳の作。文化10年3月の隠居が聴許された直後の6月に描かれたもの。文化年間に展開した沈石田の画法によりつつも、墨線に重苦しさが消え、代赭や藍を交えたより細やかな印象の山水画となっている。

画賛には孟浩然の詩「仲夏帰漢南園寄京邑耆旧(仲夏、漢南の園に帰りて京邑の耆旧に寄す)」が記され、そこに詠われた、立身出世とは縁のない、悠然たる高士の世界に生きる境地に、退隠の願いかなった当時の心情を投影させている。竹田の生涯における記念碑的作品のひとつ。

竹田の名品に出会うには?

ここでは、田能村竹田の作品を所蔵している主な美術館を紹介します。
展示スケジュール等については各館のホームページ等でご確認ください。

大分県立美術館(大分市)
主な所蔵作品 重要文化財《稲川舟遊図》など片岡辰市コレクションほか

大分市美術館(大分市)
主な所蔵作品 重要文化財《暗香疎影図》など帆足家伝来田能村竹田関係資料ほか

寧楽美術館(奈良市)
主な所蔵作品 重要文化財《亦復一楽帖》

出光美術館(東京都)
主な所蔵作品 重要文化財《梅花書屋図》など出光コレクション

東京国立博物館(東京都
主な所蔵作品 重要文化財《松巒古寺図》など

この記事に関するお問い合わせ先

竹田市歴史文化館 由学館

〒878-0013
大分県竹田市竹田2083
電話:0974-63-2200

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